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格闘衝動

作:龍宇治

第二十五話『敗因衝動/馬鹿は死ぬまで』

 目が覚めた。

 治療はすっかり済んだようだった。市ヶ谷に折られた左腕と右足。ギブスと包帯で固定されているのが感覚で分かる。
 それ以外は全身の倦怠感に、軽い頭痛があった。
 神経毒を喰らった後遺症だろうか。即座に患部を切り離したとは言え、血中に薄く混じるのは避けられない。あるいは単に肉体が飢餓状態なだけかもしれないが。
 仰向けのまま辺りを見回す。
 天井、病室、点滴台、壁にかかったデジタル時計。日付の表示はあれから三日。
 いつも通りの試合明けだ。ただし感慨や勝利の余韻は薄い。身体の不調もあるが、一番の理由は別だ。今回のクソったれはひたすらフラストレーションの溜まる相手だった。あの薄ら笑いを思い浮かべると今もハラワタが煮え返る。
 あるいは、苛立ちの原因は別の誰かなのかもしれない。
 例えば、どこぞのケチな偏屈ジジイ。
「タバコ臭え」
「……なんだ。起きてるなら言え。心臓に悪い」
 ジジイが俺の顔を覗き込むと、鼻の穴から漏れたタバコの煙が顔にかかる。同時にアルコールの臭いも。化学物質がしみ込んだ干物ジジイの強烈な口臭。頭痛持ちには軽い拷問だった。
「ああ、まったく我ながら生涯最悪の仕事だな、このゲテモノ面は。見れば見るほど気が滅入る」
 仏頂面のジジイはそう言ってタバコとは反対の手に持った銀色のスキットル(酒用水筒)に口をつけた。
「生涯最後の仕事にしてやろうか、くたばり損ない」
「けっ!……どっちがくたばり損ないだかな」
「次はいつ戦える」
 俺の台詞に、ジジイは呆れたように鼻を鳴らす。
「幻聴か? 歳は取るもんじゃねぇな」
「そういうのはいい。治るのにどれくらいかかる」
「最低三か月は安静だ。それでも短いが――てめぇの場合は『無理やり動かすなら』一月あれば十分か。一応言っとくが、痛みってのはこれ以上やるとヤバいっていう肉体からの警告だ。治療不能なてめぇの脳ミソにゃ言っても無駄だろうがな」
「ずいぶんありがてぇ説教だ」
「ほざけクソガキ」
 身体を起こし、首筋を軽くストレッチをする。血行が悪い。やはり不調だ。ほとんど麻痺していた空腹感がやっと感じ取れた。枕元にあった見舞い品の果物の中から、リンゴを手に取る。
 クシャリ。乾いた音。やけに甘い。疲れで味覚が過敏になっている。本当なら肉がよかった。血を失い過ぎたから。
 市ヶ谷との試合で、俺がジジイに任せたことは三つ。
 生物毒の血清を可能な限り多くの種類で集めること。
 患部を噛み千切るためのカミソリを仕込んだ入れ歯の作成。
 そして最後は、俺の血液を試合一週間前に抜き取り当日に自己輸血することだった。
 予め採血した己の血を再び肉体に取り入れ、血中のヘモグロビン量を増やすことにより一時的な体力増強を測るという行為は、血液ドーピングとして競技格闘技の中でも『反則』として取り入れられることがある。
 ただし、今回の場合はむしろ自己輸血本来の用途に近い。
 医療の場での自己輸血は、多量出血が予想される手術において患者死亡を防ぐための『失血致死量の水増し』が目的だ。 
 毒を無効化するには患部をしっかり噛み千切る必要があったし、試合はその後も続く。加えて、やつの得意技である柔術を無効化するには『血で滑らせる』のが一番手っ取り早かった。
『どうしてお前はそんなイカれた思いつきを『実行しよう』なんて思えるんだ』
 それは俺がイカれているからだ。
 数日前、ユキトとそんなやり取りをしたことを思い出した。
 少しだけムカついた。市ヶ谷にとどめを刺す最後の組技ラッシュ、俺は手足が一本づつしか動かなかった上に、自分の血で滑りまくって相当に動きが悪かったからだ。失血で最後の裸締めのときはほとんど意識が朦朧としていた。『三十秒ルール』のカウントで勝利が確定した記憶はあるが、直後に気絶して今に至る。
 イモムシの交尾か。
 あいつならそう言って馬鹿にしそうだ。想像するな。こっちは手足が動かないので、反撃は当分先になる。
「そういやユキトはしっかりやったのか」
「ああ、やつか? しっかりやったさ」
 今回、ユキトには任務を与えてあった。
 対戦相手同士が場外で殺し合いを継続しなよう『地下』の医務室は二つのブロックに分かれており、複数人いるリングドクターのうち二人が持ち回りで各ブロックを管理している。
 試合当日、片方のブロックはおっさんの出番だった。つまり、市ヶ谷が『保険』を託すとしたらもう片方のドクターになる。
 あいつの性格を考えれば、万が一自分が毒を喰らった場合を考え血清を用意している可能性は非常に高かった。そして俺の性格を考えれば、そんなものは何としてもブッ潰さなければ気が済まない。
 血清を奪うか、でなければリングドクターをボコボコにして『治療を受ける側』にする。
 それがユキトに与えた任務だ。
 依頼額は三百万。この一月をトータルすれば、やつに支払った金は一千五百万ぐらいか。金額は問題ではなかった。ジジイから人質として奪った金は、諸経費を除いて全て今回の試合に全額賭けた。試合前に観客共を煽ったせいで俺の勝利へのベットも増えただろうが、それでも市ヶ谷ー運営間で行われた八百長につぎ込まれた大金は上乗せされる。
 配当額は八千万の倍は堅い。
 半分は運営に渡し、もう半分はジジイへの人質として継続。
 俺はしょぼくれた年寄りとの約束を律儀に守るほど優しくはない。それにジジイの医者としての技術は今後も役立つ。寿命まで飼い殺しにするのが賢いやり方だ。端からそのつもりだった。
 今回は七面倒なことをぐだぐだやる羽目になったが、その分得るものもあった。
 最終的には万事順調。市ヶ谷という目障りな障害物を排除し、『四天王』へと挑む道筋が立ったわけだ。
「どうやら俺は少しあいつを見くびってたらしい」
 俺が二個目のりんごに手を伸ばしたとき、ジジイは大きな溜息を吐いた。
「何の話だ」
「ユキトだよ」
「ああ、あいつか。俺に言わせればまだまだだがな。まぁ、一月も一緒にいれば、少しは感化されていい塩梅にネジが外れたってこった」
「ああ、いいネジの外れ具合だ。確かにてめぇの言う通り」  
 そう言って、ジジイは俺が引き抜いた点滴のチューブを床から拾い上げた。

 と、同時に俺の頭に拳銃を突き付けている。

 位置取りは、俺の斜め後ろ。何気ない動作でこちらの死角を取ったわけだ。俺の位置からは拳銃は見えないが、後頭部に当たる鉄の感触でジジイの意図は読めた。
 まぁ、こういうことをするジジイだ。分かっていたさ。
 問題はその次の台詞だった。
「あのクソ野郎の居場所はどこだ、クソったれ」
 クソ野郎ってのはユキトのことだろう。
 あのクソ野郎。
 市ヶ谷に勝った場合は運営に取り分を渡して俺の目覚めを待て、という指示を守っていない。ジジイが知らないだけか? それとも今さらビビったか? いや、今のやつなら「相棒の俺に何かあればあいつは『四天王』と闘わないぜ」と言ってヤクザ相手に安全確保するぐらいの頭はあるはずだ。
 どういうつもりだ。
「耄碌してんじゃねぇよクソジジイ。俺を殺したら、それこそあいつの居場所は分からない。脅しとして機能してねぇ」
「別に頭を撃つ必要はねぇさ」
「それこそ耄碌だな。頭以外の部分を撃たれて、俺が反撃しないとでも? 重症患者相手に後期高齢者がどこまで抵抗できるのか試したいってのなら、ずいぶん見積が甘い」
「……やめだ。割に合わん」
 
 パンッ。
  
 破裂音がした。
 ジジイが引き金を引いたのだ。銃口は頭に突き付けられたままだった。ただし、痛みはない。発砲音が軽すぎる。
 おもちゃの拳銃だ。
 振り向くと、バツの悪そうな顔をしたジジイがこちらに偽拳銃を投げよこした。
「金を無くすのとこいつの相手と選ぶんだったら俺は前者だ。煮るなりやくなり好きにしろ。俺はもう成り行きに任せるぜ。どいつもこいつも年寄りをこき使いやがって」
「……何言ってんだ」
「言った通りさ。老い先短い年寄りが金にしがみついたって仕方ねぇ。てめぇと張り合うのはもう止めだ。あとは特等席でイカれ野郎の末路を見物させてもらうさ。冥途の土産にやちょうどいいからな」
 吐き捨てるようにジジイが言うと、病室のドアが開く。
 入ってきたのは数人の黒服と、試合前に交渉した『運営』の白スーツ。
 そして口原。
「で、約束の金はどこだ?」
 白スーツが口を開いた。恐らく、ジジイと俺のやり取りは別室から監視されていたのだろう。
「安心しろよ。約束は守るさ――が、あんたらのことを百パーセント信用するわけにはいかないからな。生憎、こんなザマでね」
 ギブスで固定された手足を見せる。
「馬鹿なガキじゃあるまいし、怪我が治る前に金のありかをバラすわけないだろ? ケチなヤクザが全部盗るって可能性は何パーセントだ? 百パーセントぐらいか?」
「なるほど、なら市ヶ谷を殺しそこねたことにも狙いがあるわけだ」
「……ああ、やつの神経毒を喰らうんだ。リング上で殺しちまえば、血清を奪う可能性を自分で潰すことになるからな。念のためさ。ぶっ殺すなら試合後で十分だろ」
「なるほど、ではなぜお前の相棒は死にかけの市ヶ谷をわざわざ拉致して姿を隠したんだ?」
 何をやってんだユキトの野郎は。
 金を持ち逃げした以上に問題だった。
 あいつの任務は神経毒の血清を手に入れること。つまり、死ぬはずだった市ヶ谷の命を救うことができる立場だった。
 なぜだ? いやそれよりも。
 殺し損ねただと。
「――ボロが出たな。ガキにしちゃ恐ろしく弁が立つが、肝心なところで顔に出てる。まぁ、今回は無理もないだろうが」
 白スーツが言った。 
 自分がどんな表情をしているかは分かっていた。部屋の壁に寄り掛かりながら、ジジイがニヤっと笑ってこちらを見ている。
「本題に入ろう。正直言って、こっちはお前の相棒が裏切ろうが関係はない。市ヶ谷もろとも見つけ出して殺すだけだ。金は全額貰うがな」
 金はどうでもいい。
 だが殺すのは俺の権利だ。市ヶ谷。あの薄ら笑い。
 そしてユキト。
 お前はそんなに俺に殺してほしかったのか。
「今回の試合、お前らやり過ぎた。互いの武器持ち込み、反則の応酬。客受けは上々だが『四天王』サイドからはクレームがついた。お前の場合は入れ歯に仕込んだ凶器が不味かったな。そんなやつと試合をするわけにはいかない。むこうの言い分だ。その上で、市ヶ谷の行方不明だ。八百長だという噂も出始めてる」
「八百長はてめぇらだろうが」
 くだらねぇ。
 まったくヤクザの屁理屈合戦には反吐が出る。同時にそいつらのルールに従うことが屈辱だった。
 結局、どっちだ。今回は俺の勝ちか負けか。そんなのは決まってる。
 再び市ヶ谷の薄ら笑いがフラッシュバック。腸が煮えくり返る。足りない血が沸騰。
 
 俺は勝っていた。
 
 だから、しっかり殺さなくては。とどめを刺さなくては。
 ユキトも同じだ。自分が何をしでかしたかを痛覚にしっかり理解させる。  
 ただし、その機会は案外すぐに訪れるだろう。 
 なんとなくそう思えて、怒りが少し治まった気がした。
 俺は間違いなく市ヶ谷に勝っていて、その根本的な原因はやつが柔術に拘ったからだ。
 そもそもコンクリの床という危険地帯で、寝技を主体にするのは余りに危険が高すぎる。ひとつ選択をミスすれば頭を叩きつけられ形勢逆転を許すというのは、打撃や投げ技に比べ明らかな不利。
 だが、やつは己のスタイルを変えることなく技を磨き続けた。
 馬鹿なのだ。
 寝技、柔術の展開でなら己は『最強』だなどと過信したから、『ケージ』の中に場外の余計な取引を持ち込み、結果己を追い詰めた。
 愚か者の柔術馬鹿。
 だが、それを言うなら俺だって相当な空手馬鹿だろうし、ユキトにしたって、まぁギリギリだが総合馬鹿と言ってやってもいい。
 だから、多分やつらは逃げない。牙を研いで、隙を狙って、俺を殺しにくるはずだ。
 闘った相手だから分かる。

 俺たちは誰もが、己の敗北を認められない愚か者だから。

「ったく、ヤクザってのはつくづく頭の働かない間抜けばっかだな。『四天王』からのクレーム対応だと? コンビニの店長かてめぇは」
 俺はいつもの調子を取り戻して、白スーツは眉をひそめ、口原は無言の無表情、ジジイは少し楽しそうに見えた。
 実際のところ、そんなクレームはなんの問題でもなかった。
 恐らくクレーム主であろう『四天王』のリーダー格に関していえば、多少は小賢しい考えの持ち主というのは間違いない。だが、こんな『地下』の底にのさばっている時点で性根は同じだ。
 それに俺は次の対戦相手――『四天王』の一番手、ウィンが完璧な己の同類だということをすでに知っていた。
 あとは簡単だ。
 俺は見舞い品のフルーツの横に置いてあった果物ナイフを鞘から抜いた。同時に折れた左腕を固定していたギブスを外す。
「何をするつもりだ?」
「落とし前をつけてほしいんだろ? 癪に障るがヤクザ流に合わせるさ。詫びの代わりウィンへの挑戦状にこいつを添えてやればいい。あとは客共にも宣伝しまくれ。そうすりゃ人気ファイターの逃げ場はなくなるさ」
 狙いは左の小指でいいか。
 

 困惑する白スーツを横目に、俺は果物ナイフを一直線に振り下ろした。
 
 三日前。 



 ここが地獄か。
 意識を取り戻したとき、市ヶ谷はそう思った。
 自分が仰向けに寝かせられていることに気づくまでに約十秒。
 ガコンッ。
 地面が動く。そのおかげで、目の前の悪魔じみた影がエレベーターの天井の染みだということが理解できた。ものがやけに歪んで見える。視覚異常の原因は神経毒の後遺症だ。ただし、向かうのは地獄ではなく地上。
 状況を把握できずにいると、誰かが顔を覗き込んだ。
「でかいだけあるな。もう意識が戻るなんて」
 お前は誰だ。
 そう言おうとしたが声はまだ出なかった。身体もほとんど動かせない。
「血清は打ったから安心しろよ。効くかどうかは俺には分かんねーが。今は逃げるのが先だ。カメラの監視室は先に潰したから、それで駄目なら諦めるしかないけどな」
 相手の自嘲的な口調には、どこか興奮が混じる。
 俺は何を馬鹿なことをやっているのだろう、そんな調子だった。
 こいつの目的は何だ。血清を直前に打ったこと、神経毒の症状の残り具合から考えるに、試合から三十分は経っていないはず。即興で救出計画を立てるには短すぎる時間だ。
 市ヶ谷の推測は的を射ており、ゆえに困惑はますます大きくなった。
 それを察してか、覗き込む人影は言葉を続ける。
「人を雇って逃走用の車を用意してある。金はあるからな」
 再び自嘲。同時にエレベーターのドアが開く。
 顔を隠された。担架ではなく、何か別の荷物に偽装されているようだった。
 再び意識が朦朧とし始める。 


 どれだけ時間が経ったかは分からない。

 
 市ヶ谷が意識を取り戻したときには、見知らぬ部屋のベッドの上だった。
 全快には程遠いが身体の自由は多少戻っている。もっとも手足に関節技を喰らったせいではなからまともには動けないが。しばらくして呼吸のし辛さの原因が食い千切られて一つになった鼻の穴が塞がれているせいだと気づく。
 ベッドの傍に男がいた。前後逆にした椅子に腰かけて、こちらを覗き込んでいる。
 部屋全体が薄暗いせいではっきりと人相は分からないが、ずいぶんと若い。
「……だ……れだ……」
「――お前をそんな目に合わせたガキを殺したがってる男さ」
 笑おうとしたが、頬がわずかに引きつっただけだった。
 素晴らしい。なんて感動的な間抜け野郎だ。
 もし口が自由に動けば、そう言って相手を嘲笑っていただろう。
 次の台詞はさらに笑えた。
「俺に協力しろ、市ヶ谷。あいつに勝つには協力者がいる。練習相手を含めてな」
 どこかで聞いた台詞だった。
 なんて馬鹿らしい。手足の動かない相手にそんな頼み事をするなんて。
 しかし次の瞬間、市ヶ谷の心は決まっている。いつかと同じ自動的ですらある思考。
 あのガキに復讐するのはお前じゃない。練習相手はお前のほうだ。『最強』を殺すためのレッスン。それはまだ終わってはいない。
「手足の怪我はそこまで深刻じゃない。片手片足だったせいで、技のかかりが甘かったんだ。腱を痛めただけで関節自体はほぼ無事だ。あんなイモムシの交尾じゃ当然だがな」
「……わ……かっ……た……」
 絶え絶えの声で返事をする。相手は表情を変えなかった。椅子を立ち上がり、手を差し出す。
「俺は麻見だ。麻見幸人(あさみゆきと)」
 自己紹介に握手。
 本名ならば、ずいぶんと平和ボケしたカモだ。いや、手足が動かないことは分かっているから、これは敵意だろうか。協力関係にはあるが慣れ合いはしないという意思表示。ずいぶんと上から目線の物言いだが、どこかぬぐい切れない青臭さが残る。
 市ヶ谷は――『彼』は心の中で、できうる限りの侮蔑を込め返事をする。
 俺は自己紹介などしない。
 元の名前などとうに忘れた。いまさら名前など誰のでもいい。別にお前のでも。
 差し出された手を見つめながら、頭の中でシュミレーションをする。
 まずは腕菱木。そこからスウィープし、手足を順番に折って、最後は首。なんてことはない。いままで繰り返してきたことだ。
 殺して全てを奪い取ってやる。



 麻見幸人――ユキトは握手の手を引くと、そのまま部屋を出ていった。
 それから市ヶ谷は再び眠ることにした。よく分からない状況だったが、何にせよ手足の負傷を治すことが目先の課題だった。三か月か、半月か、全快にはどれくらいかかるだろう。あの小僧にもそれなりの手傷を負わせたから、ウィンとの試合はしばらく先になるはずだ。
 間に合うだろうか。
 殺せるだろうか。
 無理ならそれでいい。また別の『最強』を探すだけ。それが自分で選択した生き方だ。
 市ヶ谷が目を瞑ると、脳裏に例の小僧の顔が浮かんだ。継ぎ接ぎの顔に、牙を剥くような笑顔。腸が煮えるが、自分を殺し損ねたことでむこうも同じ気持ちかもしれないと思うと少し笑えた。
 それから、あることに気づく。
 先ほどあのユキトとかいうガキが部屋を出ていくとき、視覚異常がある側に移動したせいで歪んだ顔が別の誰かに見えた。そのときは思い出せなかったが、あれは継ぎ接ぎになる前の小僧の顔そっくりだったのだ。
 およそ一か月前、ウィンに顔面を潰されかけたときのあのガキの表情。
 目を見開き歯を剥き出しにした半死人。あの表情を踏みつぶしていれば、やつを殺せていたはずなのに。
 そのときの表情に、あいつの歪んだ顔はそっくりだった。
 まぁ、どうでもいいが。
 やがて意識はまどろんで行く。
 

 これが、この長い長い一夜の戦いの顛末。
 いくつもの因縁がより複雑に絡み合ったが、ひとまずそれらは途絶えなく続くことになった。
 それが幸運なのか、さらに大きな地獄へ続く片道切符になるのかは誰にも分からない。
 確かなことは一つ。

 終わりまで走り抜ける。

 愚か者にできるのは、ただそれだけだ。

龍宇治先生に励ましのお便りを送ろう!

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