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格闘衝動

作:龍宇治

第十七話『傍迷惑衝動』

 診療所は病院から原付で三十分ほどの雑居ビルの三階にあった。
 闘技場から近い場所だった。雑居ビルは一階が居酒屋、二階がサラ金、四階がダンスだか何だかのカルチャースクール。ビルの側面に縦並びに取り付けられた看板の中でも、真島診療所と書かれたものはひと際薄汚れて見えた。
「あてになるのかよ」
 路地に原付を停めると、ユキトがそう質問してきた。本音を言えば、交渉が上手く行く自信はあまりなかった。やらないよりはマシ、当たれば得な宝くじ程度のものだった。大体、こちらにとって条件のいい練習場所かもまだ分かってはいないのだ。
 地下の元リングドクターという、ヤクザと繋がりのありそうな相手をわざわざ頼ることに関しては、一応はこんな理屈がある。
 あんなデカい非合法の闘技場があるのだから、この街はほとんどヤクザのシマなのだろう。そこらへんのやつを脅して場所を確保するという方法では、どこで裏の情報網に引っかかるか分かったものではない。だから隠れ蓑にするなら、ヤクザに隠しごとができる度胸と口の固さを持っているか、あるいは隠しごとをしていてもヤクザが迂闊に探れないぐらいに顔が利く人間がちょうどいいというわけだ。凄腕の元地下専属ドクターというのは、それに相応しい相手のような気がした。
 気がした、というだけで根拠はない。地下で騒動を起こした俺をこっそり治療したことをかけ引きに使う手も考えたが、脅しのネタとしては鮮度が古すぎる。交渉の決定打には欠けていた。まぁ、だからと言って素直に諦めるというのは馬鹿だし、俺は勝ち目がなくても際限なく食い下がるという点では別の意味で馬鹿だった。
 誰に見られるかも分からなかったので、診療所に入るまではフルフェイスのヘルメットを脱ぐつもりはなかった。金髪の上司とは話をつけたが、金髪個人には恨まれているだろうし、組のバックアップがなくなったことで今度は『運営』に目をつけられる可能性もある。顔を隠すに越したことはない。
 ドアを入ってすぐに受付窓口があったが、チャイムを鳴らしても返事はなかった。俺は「休診かも」と言って渋るユキトを置いて、待合室を抜け診察室へ入りこんだ。
 個人経営の診療所らしい殺風景な部屋だった。机と書類棚、カーテンで仕切られたところにベッドが二台。それらを脇に寄せれば、少し狭いが練習場所にはなりそうだった。問題は家主がいないことだ。
 年寄りの爺さんだという話だから、いっそのこと心筋梗塞か何かで急死していれば話が早いのだが。そう思っていると、後ろから声がした。
「何してやがる、コソ泥」
 振り向くと、ユキトが診察室の入り口に立っていた。だが、今のは明らかに年寄りのしわがれ声だ。ユキトも嫌に神妙な顔をして、何も言わずに俺を見ている。
 おかしいと思っていると、ユキトの背丈の陰から腰の曲がった老人が出て来た。心筋梗塞どころか、殺しても死ななそうなジジイだと思った。
 片手に持った拳銃をユキトに突きつけていたからだ。 
「格闘家なら拳銃ぐらいでビビッてんじゃねぇよ」
 俺の言葉でユキトの表情が引きつるのが分かった。恐怖というより怒りだろうか。うむ。
「おめぇら、脳ミソ入ってねぇのか? 中坊でももっと金のありそうなとこに入るぞ」
 ジジイがそう言った。マジな中学生にそんなこと言われても困る。ジジイはどうやら、俺たちのことを空き巣か何かと勘違いしているようだった。それで拳銃を持ち出すのだから、過剰防衛もいいところだ。普通に考えればモデルガンだが、何せヤクザと繋がりがあるヤミ医者だ。地下のリングドクターなんて、まともな神経でやれる職業ではない。
 とりあえず誤解を解くために俺はフルフェイスヘルメットを脱いで見せた。
「……てめぇ、一週間前のガキか。何しに来やがった」
 察しの良いジジイで助かったが、反応は芳しくはなかった。元からの性格なのか口調は刺々しい。当然と言えば当然だろう。恐らく俺を治療したこと自体、むこうにとっては厄介事だったはずだ。
「寝床と練習場所を貸してくれよ、もうすぐ地下で試合なんだ」
「寝ぼけてんのか、このクソガキ」
 さて、ここからどう交渉に持ち込むか。脅しの材料は目の前にあった。ただし、練習相手であるユキトを撃たれるのは出来れば避けたい。
「見逃してやるから、さっさと帰りやがれ」
「嫌だよ。ここしか頼れる場所がないんだ。ヤクザにも目を付けられてる」
「泣き落としか? 悪いが俺にゃ関係ねぇよ」
「そうかい、じゃあ首を縦に振るまで居座ってやる」
 とりあえずは、とにかく食い下がる戦法を使うしかなかった。いきなり拳銃を持ち出したことから考えても、このジジイはかなり短気な性格らしい。話がこじれれば、何らかのアクションを起こす可能性は高い。     
「帰らねぇとこの兄ちゃんを撃つぞ」
「やってみろよ。そいつだってそれぐらいの覚悟はしてる」
「ちょっと待て、殺すぞ」
 キレ気味で口を挟んだのはユキトだった。人質のくせに生意気なやつだ。
「ふざけんじゃねぇぞ。俺はもともと無関係だろうが」
「うるせぇな、ちょっとは話を合わせろよ馬鹿」
 俺たちのやり取りを聞いて、ジジイは鼻で笑っていた。お前ら仲間じゃないのかよ、とでも言いたげだ。生憎、それはある意味正解だった。呆れは気のゆるみと同じ。先手を取るにはいいタイミングだ。
 ユキトのやつからクソありがたいクソアドバイスをクソ頂戴する前に、俺も自分なりに市ヶ谷の使う格闘技を研究していた。特に自衛隊式の徒手格闘に関しては、競技格闘技のユキトよりも実戦派である己の感覚のほうが頼りになる。
 自衛隊の徒手格闘のベースは日本拳法だ。
 打・投・極の三つを取り入れた現代式総合武術の先駆けとも言える存在。同時に、顔面なしのフルコンタクト空手や寸止めの伝統派空手と同じように、練習・普及のための競技化というバイアスがかかった武術でもある。ただし、日本拳法に限ればある種の怪我の功名的な技術の発達があった。
 直突きと呼ばれる打撃は、俺がかつて口原に喰らった伝統派の打撃と似ている。
 間合いの外からの踏み込みのスピードと、体重を乗せることによる威力の両立。顔面ありの直接打撃制に拘った結果、日拳はグローブ着用でも下手をすれば拳を痛めるほど異様に堅い防具を着け闘うことになったが、その非実戦的なルールは返って拳を痛めず高威力を出す打撃を鍛えた。実戦向きの技だと言える。市ヶ谷がどれぐらい打撃をやれるかは不明だが、リーチと体重を活かすならこの技が主軸になる確率は高い。
 俺にとっても、それは有用な技だった。正拳突きは折り紙付きの威力を持つが、構えて打つまでの予備動作が大きすぎるのがネックだ。繋ぎの打撃は必要だった。ボクシングテクを学ぶのもいいが、やはり技術的に似た部分のある日本拳法のほうが取り入れやすい。
 と言うわけで、最初の練習相手はユキトだった。
 ジジイが俺たちの会話を鼻で笑った瞬間に、俺は踏み込んでいた。
 完全にノーガードだったユキトの顔面を直突きが捉える。正拳突きとは違い、直突きは拳を捻らず縦に構えたまま打ち込むので、体重を乗せるには少しコツが必要だった。点数をつけるなら六十点ほどか。ユキトはしっかり鼻血を出して、後ろへのけぞっていた。
 俺はその身体をさらに突き飛ばし、ジジイのほうへ倒れるように仕向けた。試合用に絞っていないユキトの体重はウェルターとライトの間を行ったり来たりで、年寄りが受け止めるにはいささか重い。
 狙い通り、ジジイはよろけていた。拳銃が暴発しない分、冷静なジジイだった。
 ただし冷静な常識人だ。拳銃はあくまで脅しの道具で、撃つつもりはなかったのだろう。もしマジものなら、ユキトが倒れかかった瞬間俺に威嚇射撃をして、体勢を立て直す時間を稼いだはずだ。
 俺は倒れたジジイの手を蹴って、持っていた拳銃を弾き飛ばした。黒光りしたリボルバーは床の上を滑り、壁に当たって金属音を立てる。喧嘩ならこれで相手の顔面を踏んで終わりだが、年寄り相手にそんなことをやっても仕方がない。
「クソったれが! どきやがれってんだ」 
 ジジイは怒鳴ったが、完全な不意打ちを喰らったユキトはすぐに起き上がれる状態ではなく、痛みで顔面を押さえていた。しばらくは下敷きになっていてくれればいい。動けないほうが恐怖は倍増するのだから。
 俺は二人の横を飛び越して、蹴り飛ばした拳銃を拾った。
 ジジイは老人にしてはスナップの利いたげんこつでユキトの身体を叩いていたが、俺に気が付くと動きを止めた。
 ジジイのひねくれてそうな目付きがこちらを見る。
 俺の顔、銃口、それからもう一度俺の顔へと視線が行き来した。撃鉄を上げると、カチッという金属音がする。
「悪いな」
 俺がそう呟くと、ジジイの顔が青ざめた気がした。引き金は思ったよりも軽かった。 
 銃声が響いた。
 



 ジジイのことは、初めから曲者だと思っていた。
 会う前から分かる。そもそも地下の元リングドクターという肩書がおかしい。ヤクザの裏稼業なんて、そうそう辞められるものではないだろう。それが堂々と闘技場の近くで診療所を構えているのだから、ますます不自然だ。おまけに赤の他人で厄介者の俺の命を救っている。ヤクザのシめてる街で、それはあまりに自由すぎると思った。
 まぁ、少し考えればジジイがどういう立場の人間かは推測ができた。ジジイが拳銃を取り出したこと、そして俺たちに対して言った台詞はその推測を十分に裏付けてくれた。
 要するにあいつは金持ちなのだ。
 闘技場の賭けで馬鹿勝ちしたのか、闇医者稼業で荒稼ぎしたのかは分からないが、それで自由な立場を買ったわけだ。診療所にしても、みかじめ料だかショバ代だかを払い続けているはずだ。闘技場に近いということがポイントだった。この近辺はそれだけヤクザの影響力が強いから、ヤクザに金を払っている限りは安全は保障される。
 もっとも、あのジジイはそれだけで安心するほど素直なやつではなかった。己以外を信じていない偏屈な性格は、顔つきにも表れている。俺たちが訪ねたとき、ジジイはいかにも診療所には金はないという演技をしていたが、コソ泥扱いした相手に拳銃なんて過剰な武器を持ち出した時点で本音はダダ漏れだった。他人を信用できないから、大事な金は手元に置いておく。拳銃を持ったキチガイのふりは、それを守るためのなけなしの武器だ。
 まともなコソ泥ならその演技騙されビビッて逃げるだろうが(というかヤクザのお膝元で空き巣や強盗をするやつがそもそも少ないだろうが)、俺はコソ泥でもないし、まともでもなかった。
 ジジイをどうやって脅そうか悩んでいた俺からすれば、あの拳銃は渡りに船だったということだ。
「……お前、いい加減に殺すぞ」
 ユキトがイラついた声でそう言った。跳ねっ返りではあるが、所詮は競技格闘技者の思考だと思った。殺すという脅しは、実戦では意味がない。実際に殺されると思わせなければ、相手をコントロールはできないのだ。
 たとえば、俺はジジイから奪った拳銃をユキトの背中越しに突きつけていた。俺は一発撃っているから、本気度は伝わったはずだ。これぐらいのことをやらないとダメだ。
 予定外に拳銃をぶっ放すことになってしまった俺たちは、非常階段を通って診療所のある雑居ビルから路地裏へと脱出していた。銃声は意外と小さかったが、同じビルの住人にはさすがに聞こえただろう。特に、診療所の一階下の消費者金融は見るからにヤミ金業者で、そっち系の息がかかっているに違いない。トラブルを避けるためにも、ここはいったん逃げるのが得策だった。
 ユキトはやっと鼻血が止まったらしく、両方の鼻の穴につめたティッシュが間抜けだった。フルフェイスのヘルメットを外せば、こっちもギャクみたいなミイラ頭を晒すことになるので人のことは言えなかったが。
「マジで何考えてんだよ、お前は。脳震盪の後遺症か? イカれ具合に磨きがかかってる」
「ああ、ますます冴えてきただろ」 
 俺の答えを聞いたユキトは、何とも言えない表情でこちらに振り返った。
「それより、俺の直突きはどうだった。見様見真似だったからイマイチなのは分かってるが、距離をつめてコンビネーションに入る繋ぎぐらいには使えそうか」
「……イカれ野郎」
「それはさっき言ったろ」
 エンジンのかかっていない原付を押しながら、ユキトはついに頭を抱え始めた。こいつに必要なのは一種のストイックさだった。つまり、俺と関わりを持ってしまったのはもうどうしようもないから、さっさと諦めてやるべきことをやれということだ。
「……イカれ野郎、死ね。クソが。あーっ、クソ。ったく、分かったよ。直突きだな。まぁ、発想としては分かるけど、お前の身長じゃデカいやつには使えないだろ。相手が前傾してないと顔面には届かないし、体格差があったら打撃で圧力をかけるのにも使えない。突っ込んできたところを潰されて無理やり組み付かれるのがオチだ。特にお前が狙ってる市ヶ谷ってやつなら尚更な。クソ、イカレ野郎が、くたばれ。あーっ、クソったれが」
「うるせぇよ、ガキかお前は」
 ユキトの言ったことは、大方は俺の考えと一致していた。直突きを単体で使うのでは、わざわざ市ヶ谷の土俵で闘ってやるようなものだ。他の策と組み合わせる必要がある。もっとも対市ヶ谷戦のためというよりは、その先のことも見越して戦術の幅を広げるための技術だとは思っていた。
「じゃあズバリ聞くけど、市ヶ谷戦のプランはあんのかよ、コーチ」
「とにかく組み付かれずにヒットアンドアウェイの打撃で倒せ。まぁ、ほぼ不可能な作戦だけどな。だいたい、お前の体格で完全なヘビー級に挑むのが間違いなんだよ。あとその呼び方は気色悪いからやめろ」
 ユキトはそう言ってため息をついた。それも予想通りの答えではあった。総合格闘家はあくまで階級別のルールで闘うエキスパートなのだ。体格差を覆すことに関しては、自前の知恵を絞るしかない。 
 市ヶ谷対策に関しては参考までに聞いただけで、俺がユキトに求めていることは別にあった。市ヶ谷の使う徒手格闘ではないもう片方の技。そのディフェンスだ。
「それこそ非現実的だ」
 こちらの考えを話すと、ユキトはそう答えた。
「市ヶ谷ってやつが実際どの程度かは分からないけど、少なくともルールなしの殺し合いで武器になるレベルなら、一か月練習した程度で完璧に防御するなんて無理だ。時間と経験がものを言う技術なんだよ。センスで覆すやつもいないわけじゃないが、今まで散々スパーした限りお前はそっち系の才能じゃ並がいいところだ」
「分かってるさ。全部防げるなんて思っちゃいない」
「山でも掛けるつもりか? そんな単純なものでもないぞ」
 俺はユキトの言葉に笑って返したが、包帯を巻いているせいで上手く表情筋を動かせた感じはしなかった。
 市ヶ谷対策は何となくだがすでに思いついていた。ただし、まだアイディア止まりで、バラバラのピースの状態だ。この一か月で、それを一つにまとめなければならない。
 幸いなことにそのための最適な環境は整いつつあった。
 診療所から十分に離れた後、俺たちは大通りに出て原付に乗ってユキトのアパートに向かった。死んでも俺を自分の下宿先に踏み入れさせないと言ったユキトは、拳銃の撃鉄を上げるとあっさり折れた。あるいは、意外と金で動くやつだったのかもしれない。
「百万、本当にくれるんだろうな」
 診療所とタメを張れるぐらいボロいアパートの前で原付を停めると、ユキトがそう確認してきた。
「なんだ、いらねぇのか」
「いるけど、お前の金じゃないだろ。勝手に使ったらヤバいんじゃないのか」
「いいんだよ。お前も細けぇやつだな」
「後で返せって言っても遅いからな」
 俺は面倒になったので、いかにもな黒い皮のバッグの中から札束を取り出してユキトに押し付けた。あいつは「外で出すなよ」と言って呆れた顔をしたが、次の瞬間にはまるで関節技をかけるときのような素早い動きでそれをポケットにしまい込んでいた。
 もちろんジジイから奪った金だ。一億ぐらいはあるか。ある意味で、使い道の決まった金だった。ただ、これだけあればもっといい使い方もできるはずだ。その時点で、俺は何となくあの憎たらしい市ヶ谷の顔を思い浮かべていた。
「三日だけだからな、延長なら金は払えよ」
 ユキトがそう言って念を押してきた。いい加減、しつこいやつだ。こんなボロ屋でよくもまぁそんなデカい態度で金をとれるものだ。  
 案の定、ユキトの部屋はワンルームで、クソみたいな生活力のなさを体現したかのようなとっちらかり具合だった。ゴミぐらい出せ。あるいは、世話してくれる女でも作るかしろよ。
「うるせぇなぁ、お前だって女なんて知らないガキだろうが」
「馬鹿言え、俺は意外とモテんだよ」
 とりあえず、最初にやるべきことは部屋の片づけで間違いはなかった。俺たちは元から狭い部屋に、どうにかして練習スペースを確保しなければならなかった。三日間だけとは言え、貴重な時間には変わりはない。
「マジでここでもやるのかよ。二階だぜ。下のやつに絶対文句言われる」
「なら、これでも握らせとけよ」
 俺がカバンから取り出した札束一つを投げつけると、ユキトは鼻で笑ってグダグダ言うのを止めた。

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