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格闘衝動

作:龍宇治

第六話『達人衝動』

 
 ケージは相変わらず熱狂で囲まれていた。
 蒸し暑いが、不思議と汗は流れなかった。身体が勝手に戦いに備えているようだった。水分一滴、指一本動かす体力、何一つ無駄にはしない。前回のような武者震いはなかった。やたらと喜ぶことはないし、変にビビる必要もないのは分かっていた。俺は今から殺し合いをする。楽しいことも、死ぬほど恐ろしいことも、この先に山ほど待っている。だから、今は始まりを待つだけでいいのだ。
 リング脇でルールの説明を受けた。前回の俺は生贄扱いだったので何も知らされずにステージに上がったが、今日は選手だ。ルールと言っても、ルールがないのがルールだった。金的も目突きもOK。時間は無制限。唯一ルールらしいのは決着のつけ方で、片方が死ぬか、完全に意識を失うか、三十秒以上マウント・ポジションなどの一方的な攻撃が続けば試合は終了とのことだった。ファイターの安全のためではなく、いちいち死人を出していたら人材不足になるという闘技場の運営事情からできたルールだろう。殺しをやるファイターはむしろ人気が出るそうだ。三十秒のカウントはケージ外の審判が判断し、残り時間は天井に設置された色違いのデカいタイマーで分かるようになっている。今回は赤が俺、青がむこう。タイマーはケージの四方の壁にも内向きに設置されていて、ファイターにも分かるようになっていた。俺の泊まったホテルよりも行き届いたサービスだ。片方が逃げ回ってばかりの腰抜けの場合もタイマーが作動し、それで負けたやつには『血祭部隊』という金属バットとプロテクターで武装した仕置人達にリンチされるペナルティがあるらしい。 
 ステージの上に立つと、満員の観客たちはライトの逆光で黒子のように見えた。一体何人の人間が俺の勝ちに賭けているだろうか。そいつらにとっては人生で数少ない賢い選択だった。
 それから対戦相手を睨みつける。一見して、武術家には見えないやつだった。ガキではないが思ったよりもずっと若い男だ。体格的な差は前回のキックボクサーのほうがまだあった。タンクトップ越しに見える体はそれなりに鍛えられていたが、韓国のポップアイドルのような印象は拭えない。優男。甘いマスク。前歯を全部折ってやりたくなる。これで本当に強いのか。
「なぁ、僕ちゃん、この前の戦い見たよ」 
 若干アクセントに訛りのある日本語で、そいつは言った。
「でも、前の試合の疲れもとらないうちに出てきて勝てるほど、ここ甘くはないよ。今日はちょっとは勉強してくといい」
 クソ野郎が。飛び上がりたくなるほど嬉しい挑発だった。胸の中の『殺すつもり』になおさら火が着く。俺はサービス精神旺盛なので望み通りに応えてやるつもりでいた。
 ケージが天井から降りてきて、やがて前回のような観客のカウントダウンが始まった。スポットライトが相変わらず眩しい。俺はすでにアドレナリンを分泌されるのを感じた。右肩も調子も悪くはない。相手はそこを狙ってくるはずだ。どう利用すべきか。頭は戦略を練り始める。
 戦闘開始の歓声が上がる。
 前回とは逆で、先に動いたのは俺のほうだった。
 一気に間合いを詰める。何をしてくるか分からないなら、何かする前に終わらせる。先手を取るのだ。こいつは俺の戦いを見たと言った。だから選ぶのは前回見せていない攻撃だ。右構えからの左上段突き、ボクシングで言うジャブに近い。狙いは相手の頭部。だが踏み込みは浅い。フェイントだ。 
 本命は最短距離で届く左の前蹴り。
 狙いは股間。今日で男は辞めろ。殺意を込めて打ちこんだ。 
 その蹴りは見切られている。
 なかなかいい目だ。打撃慣れしている。やつは正面からの打ち合いを避けた。飛び込むような動きで、俺の左側面から背後の死角へと消える。目で追うな。俺の直観は振り向きざまにカウンターを警戒する。
 相手が動くなら、逆方向から追うほうが速い。軸足はやつから遠い右脚。俺はその場で時計周りに回転し、裏拳を放った。それなら、むこうの動きに対してカウンターをとれる。
 だが手ごたえはなかった。  
 視界に相手はいなかった。距離をとられたのではない。
 下だ。
 紙一重でで金的のガードが間に合う。初手は金的。発想が似ていたから反応ができた。ただし、むこうの攻撃はそれだけではなかった。 
 ガードと同時に俺の両足は地から離れていた。
 やつは俺の脚の付け根を小脇に挟み、掬い取るような動きで体を持ち上げていた。股間への打撃の正体は、挟んだ二の腕の接触部によるものだ。一つの動作に二つの攻撃。同時に対処はできない。落下する感覚があった。コンクリートの衝撃が全身に響く。
 後頭部は守ったが、片手で金的のガードをしていたせいで受け身のタイミングが遅れていた。息が止まりそうになる。ダメだ。呼吸を保て。正しい呼吸を。俺は地面を蹴った勢いで後転し、膝立ちで上体を起こす。
 胸の辺りに蹴りが飛んできたのはその直後だった。
 ギリギリでガードが間に合う。このタイミングでの追撃は想定内だった。重い蹴りの衝撃を受け流し、俺は後方へと飛んだ。尻もちを着き、有刺鉄線のついたフェンスに背中を預ける。コンクリに比べれば、食い込む棘はまだ心地よい。
 相手の攻撃はそこで一旦止まる。
 フェンス際に追い詰められたように見えるが逆だった。蹴りをキャッチしてケージ近くに引き込めば、有刺鉄線を攻撃に利用できる。残念ながらやつは近づいてこなかった。用心深いやつめ。前回の試合を見て、俺が弱った演技をしていないかを疑っているのだ。こちらのタフネスの底を探っている。だから虎の穴に安易に入ることはしない。
「どうした! ビビッてんのか!」
 試しに煽ってみたが、やつは動かなかった。それならそれで構わない。警戒してくれるほど、休む時間は稼げる。投げのダメージは酷く、声を張るだけで身体の節々が痛んだ。骨折はないようだが、ヒビはそこらじゅう入っていそうだ。痛みを無視して動けば怪我は酷くなるだろうし、体力の消耗と共に動きはどんどん悪くなるだろう。しかし予想よりも被害は軽い。あの投げは不完全だったのだ。相手を見ると、脚をとった二の腕の肘関節に近いあたりが青く変色している。とっさの金的ガードが掌底を打ち下ろす形になったのが幸いしたのだ。どの程度の怪我だろう。痺れるか、痛むか。どうすれば利用できる。
 膠着状態が続き、観客のブーイングがうるさくなり始めた。俺はタイマーがまだ作動していないのを確認する。二十秒は休めたか。このまま休み続けるかを迷っていると、今度はやつがカンフー映画のように手招きをして煽ってきた。どうせこれ以上は回復しないし、あのカマ野郎に一発ブチ込むことを考えていたほうがダメージを忘れられる気がした。
 むこうは俺に休む時間を与えるリスクを冒してまで、寝技の展開を避けた。投げのフェイントはまだ有効かもしれない。やつのトリッキーな動きとの相性は悪いが、決め手が立ち技にしかないのは俺も同じだった。少ない武器で何とかするしかないのだ。迷う要素はなかった。呼吸を保つ。動くたび全身に走る痛みに耐えながら、俺は立ち上がろうとした。
 下段蹴りが飛んできたのはその直後だった。
 普通のローとは違い、狙いは脛ではなく関節部位。膝の皿を真正面から打って、脚をぶっ壊すつもりだ。衝撃が全身の骨に響く。俺はバランスを崩して、床に膝を着いた。やつは再び距離を保ちそれを観察している。
 薄ら笑いを浮かべながら、やつはもう一度手招きをした。
 立ち上がれるならやってみろ、と言ったことか。クソったれな挑発だ。末端部位への攻撃には、削ると同時に俺が投げで負ったダメージを計る狙いもあるのだろう。いちいちやることが嫌らしい。何にしろ俺は売られた喧嘩は買うことにしていた。火に油。元気いっぱいなところを見せてやる。 
 再び立ち上がり、やつの蹴りが来る。分かっていれば、そんなものどうにでもなるのだ。タイミングはばっちり。
 蹴られた脚を後ろに受け流すと同時に、俺は逆の脚で金網を蹴った。
 使うのは足の裏ではなく、面積が最小になるつま先だ。多少痛いが壁を蹴った分だけリーチが伸びる。体重を乗せた飛び込みざまの左突きだ。やつはその下をくぐり抜ける。それと同時に踏み込みの足が地を強く叩く音。震脚というやつだ。マジでやるのか。そう思う間もなく衝撃が来た。
 アンダースローのような軌道を描いた拳は、斜め下から俺の腹に刺さった。
 狙いは鳩尾。身体の使い方が違うのか、やつの打撃は体格に反していちいち重い。背骨が弓のようにしなったが、俺は耐えた。急所への打撃は実戦なら喰らって当然だ。そんなクソみたいな理屈で、俺は親父の打撃を鳩尾に食らって耐えるという狂気じみた修練を、地獄が始まった四歳の一日目からしてきたのだ。武道家なら先に防御を教えろと思ったが、それがここで活きた。親父のに比べればこんなのは地獄の穴の淵に立ったぐらいだ。耐え切ったことで、俺は自分の距離に入ることができた。空手の間合いだ。壁を利用した左突きも全ては布石だった。
 その距離で俺がブチ込む攻撃は決まっていた。己が最も信頼する一撃。 
 右の正拳突き。
 狙いは真正面。全力の殺意を込める。
 だが手ごたえは浅い。
 拳の軌道を逸らしたのは、鳩尾への突きを打ったやつの左腕だった。引き戻さずに残した腕は俺の脇下をくぐり、肘先で二の腕を下から押し上げていた。正拳突きの下半分がかろうじてやつの逆側の肩口の当たっただけだ。肘を差し込むために身体を捻っていたので、威力はさらに死んでいる。やつの恐ろしいところは、その防御が同時に次の攻撃の予備動作だったことだ。
 右の手首を掴まれていた。 
 古流空手の突きは拳をすぐには戻さずに降り抜く。やつは俺の試合を見たと言った。俺の空手を。初めから狙っていたのだ。
 腕を引こうとしたが手遅れだった。すでに重心は崩され、俺は前のめりに転びそうになる。地面に手を着こうとした瞬間、今度は横方向に引っ張られた。
 それが投げ技だということはすぐに分かった。縦ではなく横方向、やつを中心に円を描く軌道で振り回されていた。このまま止まらなければ、俺はコンクリの床に顔面から突っ込むことになる。やつの力、遠心力、そして俺の体重の累乗。死ぬ威力だ。だが止まるわけにもいかなかった。肘の裏に手を添えられていた。投げに耐えようと踏ん張ればば、その負荷が肘関節にかかり逆方向に折れる曲がる。これも逃げ場のない技だった。
 この状況から脱出する手段は一つしかなかった。今の俺ならば抜けられる。しかし、それはやつの狙い通りでもあった。
 脚を踏ん張った瞬間、右肩の関節が脱臼した。
 まんまと策に乗せられた形になった。警戒していたはずだったが、発想が追いついていなかった。相手が知らない技を持っているということは、それだけで強いのだ。多種多様の技を持つ相手に対して、こちらの切れるカードはあまりに少なすぎた。
 俺は地面に転び、ひざまづく体勢になる。投げそのものの勢いは殺したが、ヒビの入った骨にダメージが加算されるのを感じた。そして、やつは外れた右腕をまだ掴んでいる。
 脇腹に蹴り。
 また骨に響く。攻撃は終わらない。徹底的にやるつもりだ。
 なるほど、これが中国拳法の達人ってやつか。
 経験、戦略、技の完成度。それらをひっくるめて、この状況は単純に実力の差が生んだものだった。やつは殺し合いを熟知している。
 強い。
 だが、まだだ。
 まだ終わりじゃない。
 



 俺はまだ、こんなにもお前を殺したい。
  

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